猫のウンチョスとヒトの責任(と自由)

大事なのはウンコをかたづけるか かたづけないかなのよ

皆様こんばんは、ねるみです。

いきなりウンコって書いてすみません。この先は“ウンチョス”でいきますね(大して変わんないけど^^;)
気分直しにニョルちゃんとまるちゃんをどうぞ❤️

はい、気分を直したところでウンチョスに戻りますすみません。

大事なのはウンコをかたづけるか かたづけないかなのよ

↑ のセリフにピンと来た方もおられますよね。
そう、これは村上春樹の小説【ノルウェイの森】に出てくる女の子「緑」の言葉です。
ただのエロスに興味津々なオモロい女子大生かと思いきや、人生山あり谷ありで辛酸を舐め尽くし自分なりに世の中を判断する目を既に持っていて、死がとっても身近にあるという一面もあるということを明かす場面だったと思いますがまぁいいや。好きな人はどっかで語らいませう。

ざくっと言うと、病に倒れたお父さんの介護を精一杯する中で口ばっかりで何もしない親戚に嫌味を言われたことへの反論です。正確には親戚にではなく、ボーイフレンドのワタナベくんに「ねぇそうでしょう?」と訴えかけたものですが。

この言葉は【ノルウェイの森】を初めて読んだときからズシンと来るものがありましたが、実際に介護をしたことのない自分にとってはなかなか実感を伴って考えること迄はできていませんでした。

ですが、その機会がこの正月やってきました。
今回はそのことを書いていこうと思います。

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親戚宅周辺の外猫・野良猫トラブル その1

親戚宅を含む近隣で外猫ちゃん達(複数で飼い主は同じ人)がシッコやウンチョスを庭にしていたそうです。
近所の人が飼い主さんに困っている旨を話すと謝るどころかなぜか逆ギレ。怒鳴ったり暴力を振るったりでちょっと手に負えない感じになってしまうため泣き寝入りに。
親戚も砂利を敷いたりなど対策しても効果はなく、解決策がない状態が長く続いたといいます。

ですが町内会長さんがついに腰を上げ、飼い主さんにかけあってくれたそうです。そのお陰で外猫ちゃん達が他人の家の庭にシッコ・ウンチョスをすることはなくなりました。
家の中で飼うことにしてくれたんだ良かった良かったと一安心した近所の人は飼い主さんに尋ねました。

近所の人「猫たちはその後、おうちで元気ですか?」

飼い主さん「1匹残してあとは保健所にもっていきました」

聞けば、飼い主さんの外猫ちゃんたちは元々は完全室内の家猫で、元々は飼い主さんの親御さんが飼い主として面倒を見ていたそうです。しかし親御さんが亡くなり現飼い主さんが面倒を見ることに。そしてある時から猫ちゃんたちを外に放つようになったのです。

突然知らない怖い世界に押し出され、ご飯のとき以外は家に入れてもらえず、シッコやウンチョスをすると怒られ嫌われ「バカ猫」と蔑まれた猫ちゃんたち。
そして終いには保健所に連れていかれてしまった猫ちゃんたち。

彼らにはなんの罪はありません。ただ頑張って生きただけですよね。

親戚宅周辺の外猫・野良猫トラブル その2

親戚宅近隣のお惣菜屋の店員さんが残った惣菜などを野良ちゃん外猫ちゃんにあげるそうです。
食べ残しや野良ちゃんの糞尿の始末は一切されておらず、被害が無関係の人の家に及んでいます。
野良ちゃんの数はどんどん数が増えていっているよう。そりゃそうですよね、おいしいご飯が食べられると聞いたら皆んな集まるよね。

親戚宅周辺の外猫・野良猫トラブル その3

長年鳥に餌をあげていた人が野良ちゃんや外猫ちゃんにもご飯をあげだしたとのこと。
そしてこの人もご飯の始末糞尿の始末、一切しないそうです。

「ご飯の世話はできても下の世話はしたくない」ってこと

お前の親戚んちの周辺どんだけ猫おんねんって感じですよね、私も思います・・・
私自身が住んでいる地域は外猫ちゃん野良ちゃんともにほんの僅かですし、トラブルも聞きません。

きっと住んでいる人の意識の違いなのかもしれませんね。

そう、残念ながら親戚近隣でトラブルを引き起こしている人々の意識は共通して
「ご飯の世話はできても(したいけど)、下の世話はしたくない」なのです。

ご飯を食べるってすごく大事ですよね、命そのものですから。
だからお腹をすかせている猫たちにご飯をあげるというのは命を与えるとても尊いことだと思います。
でもそれで終わりじゃないんですよね。
ご飯を食べたらウンチョスやシッコが出るからです。
そして、そのウンチョスやシッコの始末役をすべきは、ご飯をあげた人。
猫に命を与えたからにはその命に責任が伴うのです。

なぜならこの世の中は人間が管理する人間の為の人間規格の社会だから。
そしてその中に猫をも組み込んでしまっているから。

ウンチョスをかたづけることの意味

この世の中は、猫らが在るがままの姿で生きることは許されない、猫らにとっては自由が制限された社会です。
(そんな社会を変えていこうぜみたいな話は今は置いておいて現状はそうということで)
そしてそういう猫らの不自由という犠牲の上に私たち人間の自由な生活・社会は成り立っていて、その仕組みを作ったのは人間です。うん、ひでぇ。
まぁここは弱肉強食だとか進化の勝者だからとか人間管理の方が動物も幸せとか色んな考えがあると思いますし私も答えは出せていませんが・・・

つまり私の考えとしては、猫たちの自由を奪って人間主導の社会に付き合わせてしまっている以上は、私たち人間には猫らに対して責任があるということです。
猫らをこれ以上生きにくくさせない責任、少しでも生きやすくする責任が。
ご飯をもらっている猫への責任は、直接的にはご飯をあげて命を与えている人に。
(大きくは社会全体にあるので、本当はもっと寛容な社会になるべきだと思いますが)
猫に飯やって外に出してあとは知らん顔、猫に残りもんやって私優し〜、それは責任ある行為ではありません。ただ好き勝手自由にやってるだけですよね。
ウンコ、いえ、ウンチョスをとって始末する、そこまでして最低限の責任を全うしていると言えるのではないでしょうか?

そう、大事なのはウンチョスをかたづけるか かたづけないかなのよ。という。

僕は今どこにいるのだ?状態からやっとやっとノルウェイの森にたどり着いた・・・やれやれ笑

どなたのものだったか失念してしまいましたが、
「生き物を飼うとはその生き物のウンチョスを一生拾うこと」という素晴らしい言葉があります。
本当にその通りですよね。毎日毎日毎日毎日私もニョルちゃんとまるちゃんのウンチョスを拾って暮らしていますし皆さんも愛猫ちゃんのウンチョス拾ってますよね。
基本した瞬間にビニール袋越しに手でとるのであったかくて幸せ・・・はは。
様子を見ては「あ、水あんま飲んでないな〜工夫せねば」とか「毛がちょっと入ってるからブラッシングもっとしっかりしなきゃ」とかやってて、これからもやっていきます〜。
うちに来てもらったからには幸せにし続けていきたい・・・責任であり自分の希望ですね。

ではでは〜。

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コメント

  1. ぽこ より:

    猫たちの自由を奪って人間主導の社会に付き合わせてしまっている以上は、私たち人間には猫らに対して責任がある

    名言ですね。

    猫を飼い始めた最初は、ガリガリに痩せた捨て猫を助けてあげてると思ってたけど、
    一緒にいると一緒にいてもらってる、飼わせてもらってると思うようになりました。

    ウンチョスも最初はくせー!( ´△`)って捨ててたけど、今はちゃんとトイレにできて偉いねありがとうねと、毎回言ってます。

    話は違いますが、私はナガサワさんの「ただ俺は時の洗礼を受けていないものを読んで貴重な時間を無駄にしたくないんだ。人生は短い」って台詞が好きです。

    ウンチョス!☆

  2. ねるみ ねるみ より:

    ぽこさん読んでくれてありがとうございます!
    ぽこさんがナガサワ派(?)だったとは( ´∀`)笑
    時の洗礼〜のセリフは私も好きです。好きだし、そうだなって思う所もあって、
    流行ってるものはあえて数年後に見たり読んだりすることある・・・
    でもナガサワさんみたいには絶対なれないなぁ。

    そうなんですよね、一緒にいてもらってるっていう意識が私も強いです。
    人間と暮らすことを強制している時点で人間の勝手だけど
    外猫も危険(車とか病気とか猫殺しとか)がいっぱいだし。
    猫はそんなこと知らないし考えることもないだろうけど、同じ生き物としてできる限り尊重していけたらなと思います^^
    ウンチョスは毎回「くせぇ」って思います笑

    ウンチョ〜ス!⭐️